(初めての方は「蒼井空太のブラック研究室脱獄記」から読むことをおススメします)
さて、
ブライアン・トレーシーの
「ゴール」という本を読んだ俺。
その日から、
毎朝起きた直後に自分の夢を10個、
手帳に書くことにした。
そうして何日か過ごすうち、
やがて大学に戻らなければならない日がやってきた。
4月1日早朝。
その日ほとんど眠れなかった俺は、
ぼんやりと大学の研究室のことを考えていた。
准教授のこと
会話のかみ合わない同期の生徒や先輩のこと
研究室独特のニオイや実験器具のこと
その大学から逃げ出したこと
実家では親から屈辱を受けたこと
ウッ・・・
思い出しただけで吐き気が沸き起こってきた。
でもカーペットの上に吐くわけにはいかない。
猫じゃないからな。
俺は口元を抑え、
ふらつきながら壁伝いに歩き始めた。
何度も躓き、倒れ・・・それでも進み続けて
やっとのことでトイレにたどり着いた。
ウッ・・・ウッ・・・
ウッ・・・ウッ・・・
俺は喉の奥に指を突っ込んで、
強引に吐き気を催した。
オエエエエエエエ・・・
胃の中のものが勝手に吐き出されていく。
ハッキリ言って最悪の気分だ。
その後、
何度も何度も吐き、
胃の中が空っぽになった。
しばらくトイレに突っ伏したまま、
じっとしていると、
ようやく気分が落ち着いてきた。
口の中と鼻の奥がすっぱかったので、
水で何度も口をゆすいだ。
俺は
「これはもう大学に戻るのはアカンな」
と思った。
大学に戻ることを
全細胞が嫌がっていると感じたからだ。
結局その日俺は、
大学の研究室には行かず、
大学のカウンセラーの先生の所に
会いに行った。
カウンセラーの先生は、
60代の女性だ。
荒波を潜り抜けてきたような
豪快な感じのおばちゃんだが、
ふしぎと悪い人って感じはしなかった。
カウンセラーの先生には
今の自分の状況を説明し、
心療内科の先生にも
大学を復帰することを
反対されていることを話した。
先生は黙って俺の話を聞いてくれた。
そして満を持して口を開いた。
「大学に行かないのは分かった。
それでこれからどうするつもりなん」
と。
俺は
「アルバイトを始めようと思います」
と答えた。
「ほう」
それから俺は、
親にパイプラインを握られているから
親に従わなければならないんだ
という話をした。
だから経済的に自立して、
自由を掴むんだ
という話も。
「わかった。それで、具体的に月にいくら稼がないかんの」
俺は以前から
必要な額をはじき出していたので、
「13万です」
と即答した。
「内訳は?」
「食費が月に3万円、家賃が月に4万1500円、電気代が2500円で・・・」
俺は流ちょうに
具体的な固有名詞と金額を答えていった。
先生はうんうん、と頷いて、
最後は満足そうな顔をして、
「分かった。がんばりんさい」
と答えてくれた。
(具体的な数字を用意しといてよかったぁ~~~)
その瞬間、
俺の鬱になっていた気分は吹っ飛んでいった。
そしてこうも思った。
大学に行かなくてもいい
と言ってくれる人が
ここにもいたってね。
カウンセラーの先生は、
60代のおばあちゃんだから
おそらく
戦後の激動の時代
を経験している。
きっと今どきの大学生の悩みなんて、
彼女にしたらちっぽけなものだったんだろう。
俺の悩みを快活に笑い飛ばしてくれたのがうれしかった。
やっぱり誰かに悩みを相談するってのは、
いいことだ。
俺はだいぶんストレスを抱えていたんだけど、
このカウンセラーの先生にも大分救われたな。
「ありがとうございました!」
席を立ち、
挨拶を済ませた俺は、
大学のカウンセラー室を後にした。
そして、
家に帰ろうとして自転車にまたがった。
えっちらおっちら自転車をこいで
見慣れた通学路を走っていく。
(カウンセラーってのは大事だなぁ~)
こんなことを考えながら帰っていると
あるアイデアが降ってきた。
それは、
「自分のカウンセラーになるような本を探しなさい」
というアイデアだった。
俺はこのアイデアのおかげでふたたび運命の本を出合うことになる。
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